精神的につらくなったときの対処法
自分はストレス耐性が低く、精神的に落ち込みやすいタイプだと自覚している。
人生経験を重ねるにつれて対処法も獲得しているので、精神的につらくなったときはいつでも読み返せるようにまとめておく。
依存先を増やそう
仕事でつらくなったら、仕事以外の居場所を増やす。家庭でもよいし、趣味でもよい。
仕事に注力したり仕事に楽しさを見出すことは悪いことではないが、仕事だけに依存しすぎると、仕事がうまくいかなくなったときにつらくなる。
依存先を分散させることで、仕事がうまくいかなくなっても精神的にバランスが取れる。
人間関係でつらくなったら、他のコミュニティにも顔を出してみる。
それは前職のつながりでもよいし、趣味のつながりでもよいし、学生時代のつながりでもよい。
一つのコミュニティでつらいことがあっても、他があれば精神的に楽になる。
歩く、食べる、寝る
健康の基本、しかしおろそかになっていないか?
外を歩けば日光に当たるのでセロトニンが作られるし、運動すれば血流がよくなり、気分的にも楽になる事が多い。
食事をきちんと取らなければ思考力は低下するし、朝食をきちんと食べるのは自律神経を整えるのにも効果的。
睡眠不足だと頭の働きが低下するだけでなく、ネガティブな思考になりやすい。
出かけたくない気分のときこそ、外出して歩いてみる。
外食でもいいから、3食食べてみる。
カフェインをとらずに、8時間は布団の中に入ってみる。
これを継続するだけで、時間の経過とともに少しずつ回復していくはず。
思考を切り替えるきっかけをつくろう
頭が疲れている状態だと、思考を切り替えるのが難しくなる。その結果、ネガティブなことがずっと頭から離れなくなる。
このような状況では、無理にでも思考を切り替えるきっかけづくりが重要になる。
まずは外出。部屋の中にいるよりも、外部の刺激を受けたほうが意識を他に向けられる。
気が向けば旅行でもよい。普段見慣れない風景が刺激となって、自然と意識が自分の外に向けられるようになる。
知人と会って話すのも効果的だ。
話題は自分で全てコントロールできないから、話題に集中するだけで自然とネガティブなことから意識を外すことができる。
知人と話しているうち「自分の状況、意外と大したことないかも」「他の人もつらいことはあるんだな」と思えることもある。
ノートに向き合って書き出してみる
ノートに向かって、今思っていることをすべて吐き出す。
ノートなら他人の目や反応を気にする必要はないから、すべて本音を吐き出すことができる。
このときポジティブとネガティブの両面に目を向けること。
ノートの右側・左側に区切って、ポジティブ・ネガティブをそれぞれ書き出すとよい。
無理にポジティブだけを考えようとしないこと。我慢することになるし、思考が切り替えられないと更につらくなる。
まずはとにかくネガティブなことだけ吐き出してもいい。その後、あまりにも空欄な反対側を、ちょっと埋めてみればよい。
ネガティブなことを反転させて表現すれば、自然とポジティブになるはずだ。
ネガティブな捉え方も、ポジティブな捉え方も、どちらが正しいというわけではない。
物事はいろんな捉え方ができるし、常にバイアスは存在するし、どの捉え方も一定の正しさがある。
ポジティブな捉え方も、ネガティブな捉え方も、そのまま受け入れればいい。
つらさを相対化する
つらいときは、この世の終わりのように感じてしまう。
でも死ぬよりマシだったりしないだろうか?
あるいは過去の出来事よりマシだったりしないだろうか?
前述のノートは、過去のつらかった出来事を思い出して相対化するときにも役立つ。
幸か不幸か、人は時間が経つとネガティブな出来事を忘れやすい。
夜中に見た悪夢、子供時代のつらい出来事、前職の悪かったところ、どれも忘れてしまって美化された記憶だけが残りやすい。
だが数年後つらくなったときに読み返すと「あんなことあったけど乗り切れたな」「あのときよりはマシかも」と思える。
普段から過去の悲惨な歴史を学んでおくことも、つらさを相対化する上で大きな意味がある。
「戦争の時代に生まれたら、もっとつらかったんだろうな」「昔の時代に生まれていたら、口減らしや身売りされていたかもしれない」「医療のない時代に病気になったら、痛みでずっと苦しんでいたんだろうか」…といったことを考えるうち、今の時代を生きることに相対的な幸せを感じることができる。
つらいことが起きるのは自然現象と捉える
物事にはゆらぎ・偏りがあり、すべてが常に一定・平等ということはない。
収入は個人差があるし増減もするし、100人がテストを受ければその中で順位がつく。
人生の中でも幸福度が常に一定ということはないし、つらさが常に一定ということもない。
だから、つらいことが起きるのはごく自然なことだし、生きていれば遭遇するもの。
つらいときもあるし、つらくないときもある。それだけのこと。
むしろつらいことがあるからこそ、幸せを実感できるのかもしれない。