日本の「サービス」につきまとう呪い
「サービス」の価値が軽視される日本
日本ではサービスへの価値を感じづらく、対価が払われにくい。これは自身の経験や感覚的にもそうであるし、日本の飲食店や宿泊施設が欧米に比べたら非常に割安なのも、サービスに対する価値が軽視されているからだろう。最近はいわゆるサブスクリプションや家事代行などのサービスを利用する人も増えているが、アメリカに比べるとまだまだサービスに対価を支払うということへの抵抗は根強い。
日本語ではなぜ「サービス」が軽視されるのか
日本でサービスへの対価が支払われにくい理由は大きく2つあるだろう。一つはモノ信仰的なものがあり、見えないものに対して価値を感じづらく対価を支払わないという価値観・習慣。これはサービス業だけでなくソフトウェア業界でも影響が大きい。「なんでWindowsを買ったのにずっと使い続けられないの?」といった声も聞くし、「ソフトウェアやファームウェアのアップデートは無償で提供し続けなければならない」という圧力がある。なので一部では「ハードウェアとソフトウェアをセットで販売し、ソフトウェアアップデートはハードウェアとセットで提供する」といった方式も採用されることがあった。
もう一つの理由は、言葉の定義の問題だ。日本語のサービスには「値引き」「おまけをつける」といった意味があるし、賃金なしで労働してしまうことを「サービス残業」といった言葉で表現する。つまりサービスという言葉が金銭や対価を支払わないものであるという意味を包含しており、そのような印象をもたらしてしまう。一方で、英語のサービスにはこのような意味はない。
「サービス」という言葉を避けるプラクティス
ビジネスとしては「モノではなくサービスで売上を立てる」ことが重要になりつつある。サービスという言葉がもたらす印象を踏まえると、「モノ売りからコト売りへの転換」というフレーズは、サービスという言葉を避ける意味で適切なワーディングだったのだろう。しかし「コト」や「コト売り」が「サービス」という言葉を置き換えるには至っていないため、「サービス」に代わる言葉をうまく定義して使っていくことが重要になるのではないか。最近は「サブスク」といった言葉がよく用いられるが、これは「サービス」という言葉を避けるプラクティスとして効果的だろう。